■ゲオルク フリードリヒ ヘンデル - Georg Friedrich Handel -

作曲家 ヘンデルは,1685年 2月23日にドイツの現ザクセン,アンハルト州ハレに生まれ,1727年にイギリスに帰化したが,ルーテル派で聖公会に転会することもなくラテン語のカトリック系宗教音楽も多数作曲し,ジョージ フリデリク ハンドル ( ハンデル ) とも呼ばれていた。
作曲家 ヘンデルの父の期待でハレ大学で法律を学んだが,音楽への情熱を断ち切れずハンブルクへ出てオペラで成功。1706年にイタリアに行きカンタータやオラトリオも発表。1710年ハノーファー選帝侯の宮廷楽長となったが,楽長の地位はそのままに1712年にはロンドンに移住。
『音楽の母』というキャッチフレーズが添えられるヘンデルは,同年のJ S バッハと並ぶバロック音楽最大の作曲家とされ,バッハと違って生涯独身を貫き通したが禁欲的な人ではなく,性格的にはバッハより大らかであったと言われ,晩年は,インチキな目医者の手術を受けて失明した。1759年 4月14日に亡くなり,イギリス国教会のウェストミンスター聖堂のお墓に『 I know that my Redeemer liveth 』 の楽譜を持ったヘンデルの立像が安置されている。

■作曲家 ヘンデルの作品

J S バッハの作品は BWV で,ヘンデルの作品も 1978年以降 HWV でジャンル別に整理され,番号で見るとバッハは 1120番でヘンデルは 610番だが,作品番号の1曲は作品にどれだけの量を含むかにより異なる。

バロック時代の作曲家は多作で,ヴィヴァルディ,テレマン,スカルラッティなども大量の作品を残し,まとまって出版された作品には作品番号が付され,ヘンデルの場合は7番まである。

作曲家 ヘンデルの作品には,合奏協奏曲,室内楽,管弦楽組曲『 水上の音楽 』,『 王宮の花火の音楽 』,世俗カンタータ,オルガンやチェンバロの作品,『 ハレルヤ コーラス 』で有名なオラトリオ『 メサイア 』,優勝者を称える『 見よ,勇者は帰る 』のオラトリオ『 マカベウスのユダ 』,オラトリオ『 エジプトのイスラエル人 』,『 ヘンデルのラルゴ 』と呼ばれるオペラ『 セルセ 』中の『 懐かしい木陰よ 』,アリア『 私を泣かせてください 』の『 リナルド 』,オペラ『 ジュリアス シーザー 』などがあり,J S バッハが教会の礼拝用の音楽を主に活躍したのに対し,ヘンデルはオペラや劇場用のオラトリオなどの劇場音楽で本領を発揮した。

■ヘンデルの ハレルヤ コーラス

ヘンデルの母は牧師の娘で,ヘンデルは幼時から聖書を読み祈る環境で育ち,洗礼を受け,生涯をクリスチャンとして生きた。

ヘンデルは,青年期を教会オルガニストとして過ごし,英国国教会の音楽をイギリス滞在時に作ったが,信仰の音楽,教会の音楽というよりは,大英帝国の威厳に満ちた,壮大で,華やかな国家音楽というべきもので,一人一人の魂の奥底を満たすものではなかった。

チャールズ ジェネンズが旧約,新約聖書の両方から歌詞を編集し,256ページにもわたるすべて聖書の言葉で書かれた台本をヘンデルに渡し,ヘンデルに聖書物語を作曲するように説き伏せた。

台本を受け取ったヘンデルは,二週間寝食を忘れて自室に閉じこもり,幼年時代から親しんだ聖書の響きが魂の深みに触れ,有名な伝説に示されているように作曲に没頭し,すべて聖書の言葉による歌詞によって作曲され,合唱,独唱を含めて53曲にもなるオラトリオ『 メサイア 』が誕生した。

題名の『 メサイア 』とは,新約聖書にある『 メシア 』,ギリシャ語で言う『 キリスト 』のことで『 油注がれた者 』を意味している。


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